嫁入り前煕子さん と光秀
前にも触れましたが放浪記読み返すにつけ年相応な部分があったり小さなわがままを心に秘めていたりと煕子さん聖妻でも何でも無い「ただすごくできただけの一人の女性」だったんだなと感じられてとても好きです
いやそのすごくできたの部分が本当にあまりにもできすぎてるからこそあれだけ周囲から愛され慕われ死を惜しまれてるんですが…
少なくともすぐ傍にいて彼女を「健気」と感じた光秀やそれを間近で見続けた家臣の皆はそう考えていたんじゃないかなと思っていたい(聖妻って愛称、今こそ定着してるけど元は出会ったばかりの助蔵の評に過ぎないんですよね)
忍び本編まで含めて煕子さんの成長譚でもあるよねという…
ついでにもう一つ語るなら煕子さん、本編で辿った道が例の願いに準じる形になってしまったけれど当人にとっては決して願ったり叶ったりというわけでは無いよなという事も思っています
強い人だから心残りはあるとしか未練を語ってませんでしたがそりゃ生きられるならあの後も老いるまでずっと側にいたかっただろうし…
悲しい最期に対して自分なりに折り合いを付けて受け止め死期を前に導き出した人生観があの遺言で、願いはその後についてきたものであったというか
どうも煕子さん関連の話題は自分の中でセンシティブ判定というか…人気が高いキャラクターとエピソードなだけに公の場では自己解釈強めの下手な事言えないなと他のところで話すの躊躇ってしまいがちです
それはそれとして後天的聖妻論は声を大にして主張していきますが…ここでだけで…(それ大にできてないのでは?)